大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和33年(ラ)360号 決定

申立人 韓洋海運株式会社

相手方 誉国際貿易株式会社

主文

1. 当庁昭和三十三年(ケ)第三一号船舶競売申立事件について、昭和三十三年三月二十四日になされた別紙目録記載の物件に対する競売開始決定はこれを取消す。

2. 相手方の右競売申立を却下する。

3. 申立費用は、相手方の負担とする。

事実

申立代理人は、主文第一、二項同旨の決定を求め、その理由として、

相手方は、申立人に対して貸付けた金五百六十八万七千八百六十円の返還請求権にかかる商法第八百四十二条第六号所定の先取特権の実行として、申立人所有の別紙目録記載の物件(以下「本件船舶」という。)につき、昭和三十三年二月十八日当庁に競売を申立て、右申立に基いて主文第一項掲記の競売開始決定がなされた。

相手方が右申立の理由としたところは、申立人(代表者代表取締役朴炳哲)は、本件船舶の機関修理費、乗組員の給料などの経費を支弁するため、相手方から昭和三十二年三月二十五日金百七十五万円、同年四月二十日金百七十五万円、同年六月二十日金百三十二万円、同年十月一日金九十万円、同年十二月五日金五十五万円合計金六百二十七万円を借受けた。その後相手方は、同月二十五日申立人の承諾を得て右貸金債権を尾花義郎に譲渡し、尾花義郎は、昭和三十三年一月二十七日右債権について申立人を相手として神戸簡易裁判所に起訴前の和解申立をなし、同庁昭和三十三年(イ)第二号事件につき、同日申立人(和解事件相手方・代表者朴炳哲)は尾花義郎(和解事件申立人)に対し金六百二十七万円の債務のあることを認め、右金員を同年二月三日限り支払う旨の和解調書が作成された。さらに同年二月四日相手方は、申立人の承諾を得て尾花から右債権の譲渡を受けたものであるが、右金員のうち、金五百六十八万七千八百六十円が本件船舶の航海継続の必要に因り生じた債権であるというのである。

けれども、本件船舶は申立人(朴炳哲は、その代表者ではない。)の所有に属し、その名義で登記されているものであるが、昭和三十二年三月九日船長朴在鶴以下十二名の船員が乗組んで当時係船されていた釜山港を出航し、同月十八日正午頃淡路島郡家沖で機関の故障のため運航不能に陥り、神戸海上保安部所属の巡視艇に曳航されて翌十九日神戸港に入港、以来同港に停泊中のものであるが、神戸港に入港後、船舶には経費の備蓄がなく、申立人との連絡も意のままにならないため、他から資金を借入れて船員の食費等を賄つてきたものの、早急に資金を得て本件船舶を修理したうえ運航する見込が立たず、同年四月二十二日から五月下旬までに船長朴在鶴及び海員朴炳哲のみが残つてその余の海員全員は大韓民国に帰国した。この頃から朴炳哲は、秘かに本件船舶を売却して私利を図ろうと企て、自己が本件船舶の船主あるいは、本件船舶所有者たる申立人の代表者であるとの振れ込みで相手方に対し本件船舶の売却方を申入れたが、その直後実地調査のため来神した相手方代表取締役小熊美誉子は朴炳哲にはなんら本件船舶を処分する権限のないことを知つた。すなわち、船舶検査手帳は厳封されていて管海官庁の外これを開封することができず、船舶国籍証書、船舶検査手帳、船舶検査証、船員手帳などには、船舶所有者が会社の場合、会社名のみをこれに記載し、その代表者を表示するものではないのに拘らず、朴炳哲は擅に本件船舶の検査手帳を開封し、前記各書類に申立人の取締役社長として自己の氏名を記載しかつ自ら捺印していたところ、相手方代表者小熊美誉子は、右検査手帳の「取締役社長朴炳哲」なる記載及び同人名義の印影が、後に擅に附加されたものであることを見破り、そのうえ朴炳哲も自己が申立人の代表者でないことを同女に告白した。相手方は、このようにして朴炳哲が申立人の代表者でないことを知りながら、本件船舶の処分計画に加わり、初めは裁判外の手続でこれを実現しようと図つたがその不可能なことを知り、ここに朴炳哲、相手方及び尾花義郎の三者が相謀つて、朴炳哲が申立人代表者を僣称することとして、前記のように申立人が相手方から金員を借受けた結果債務を負つている形式を作り上げかつ朴炳哲を申立人代表者として手続に関与させて、前掲和解調書を作成せしめ、さらに本件競売申立に及んだものである。

したがつて、前記貸金債権は架空のもので、右和解調書も申立人に対しなんの効力ももたないものである。仮に相手方が本件船舶に関して若干の金員を支出したことがあるとしても、それは朴炳哲などと共謀して本件船舶を密かに処分し巨利を博するための運動の資金に費消されたものであつて、神戸港において機関の修理がなされた事実もないのであるから、もとより相手方が本件船舶の航海の継続の必要に因り生じた債権を有するわけがなく、また申立人においてその弁済の責に任ずべき理由もない。

以上のとおりで、本件競売は、その基本たる先取特権を欠き、許されるべきものでないから、前記裁判を求めると述べ、

相手方主張の事実中、申立人が海運等を営業とすること、釜山に支店を有すること及び昭和三十二年三月当時右支店従業員が本件船舶の番をしていたことはいずれも認めるが、その余の事実はすべて否認すると述べ、

証拠として、甲第一乃至第十六号証を提出し、証人朴在鶴、同呼文芝、申立人代表者金[イ周]済の各尋問を求め、乙第一号証、同第二号証の一のうち表面の「取締役社長朴炳哲」の記載及び申立人名義の社印を除くその余の部分、同第二号証の二のうち第一丁、第十二丁第十四丁の各表面所有者欄の「朴炳哲」の記載、第六丁、第十一丁、第十三丁の各裏面の年号、その右の一行の記載、「韓洋海運株式会社取締役社長朴炳哲」の記載、申立人及び朴炳哲名義の印影を除くその余の部分、同第三号証、同第八号証の各郵便官署作成部分、同第十五、十六号証の成立を認め、乙第四号証、同第十四号証の各原本の存在を争わず、かつその成立を認め、乙第三号証、同第八号証の各その余の部分、及びその余の乙号各証の成立は不知、乙第二号証の一、二の前記部分は朴炳哲の変造にかかるるものである、乙第十五号証は申立人の利益に援用すると述べた。

相手方代理人は、「申立人の本件異議申立を却下する。申立費用は、申立人の負担とする。」との裁判を求め、その理由として、

申立人主張の事実のうち、相手方が申立人主張のとおりの理由を主張して、申立人に対する貸金債権にかかる先取特権実行のため本件船舶につき競売の申立をなし、競売開始決定を得たこと、本件船舶が申立人の所有で同名義で登記されていること、朴在鶴がその船長であること、釜山出航から船員の大半を帰国させるに至るまでの経緯について申立人の主張するところは、いずれもこれを認め、その余の事実はこれを争う。

本件競売の申立につきその理由として相手方の述べたことは、朴炳哲が申立人の代表者であることを除きすべて真実である。

朴炳哲は、本件船舶の所有者たる申立人との委任契約に基いて本件船舶の運航及び修理に関する一切の裁判上、裁判外の代理権を与えられている船舶管理者である。すなわち、本件船舶は、もともと漁船(底曳トロール船)であるが、機関に故障があり、昭和三十二年三月当時係船していた釜山港には適当な修理工場がないため、申立人はこれを神戸港において修理することとし、朴炳哲に本件船舶の運航及び修理に関する一切の裁判上、裁判外の事務を委任したので、同人は申立人の代理人として自ら事務長の資格で乗船し、本件船舶を自己の管理下に航海の用に供しているものであるから(申立人は海運その他を営業とし、釜山に専務取締役たる支店長以下四、五人の従業員の駐在する支店を有する会社であつて、朴炳哲は、右支店の存する釜山港において、自ら船長朴在鶴その他の船員を選任し、右支店の従業員たる船番はこれを下船させ、釜山地方海務庁、釜山税関等で正規の手続を履んだうえその指揮の下に大阪向けの積荷たる螢石を積込んで同港を出航し、爾来船長以下を監督し運航をなして来たものであつて船舶国籍証書、船舶検査手帳及び船内各部施錠の鍵一切を自ら所持していたのである。)以上のような地位にある同人が神戸港における本件船舶の機関の修理及びこれに附帯する必要に基くものとして借入れた金員の前記返還債務は、申立人自身に直接帰属した債務であつて、本件船舶の航海継続の必要に因り生じたものとして先取特権の効力を受けるものである。

仮に、朴炳哲が右の委任を受けたことがないとすれば、申立人は、本件船舶について、前記修理の必要から、朴炳哲との間に、同人において本件船舶に大阪向け貨物を積込んで運航したうえ、神戸で機関の修理をなし、適当な貨物を積込んで帰航することとし、その間同人は本件船舶の運用、運賃の収受等航海営業に関する一切の権利を有すべく、右修理費用は同人においてこれを負担する旨の裸傭船(賃貸借又は使用貸借)契約を結び、同人はこれに基いて本件船舶を適法に占有する運航企業主体として(釜山港出航当時の状況が前記のとおりである以上、申立人の了解下に朴炳哲が本件船舶を支配するものといわなければならない。)本件船舶に関し、修理費その他の借財をなしたのである。したがつて、同人が本件船舶の利用に関し負担した債務が商法第八百四十二条各号に該当する場合は、右債権にかかる先取特権は船舶所有者たる申立人に対してもその効力を有するものである。

しかも、申立人は朴炳哲に対し申立人名義の本件船舶の国籍証書、船舶検査手帳及び船内各部の施錠の鍵一切を交付し、同人をして、申立人名義で同船の航海を営ませていたものであつて、相手方代表者小熊美誉子は朴炳哲が右書類及び鍵を所持しているところから同人を本件船舶に対し適法な支配権を有するものと信じ前記貸付をなしたものであり、かように信じたことにはなんらの過失もないから、民法第百九条、同法第百十条あるいは商法第二十三条により、申立人は本件債務の弁済の責に任ずべきものである。

なお、たとえ朴炳哲が申立人の代表者でないのに印章の偽造、船舶検査手帳の変造等により自己が申立人の代表者であるかのように装い、相手方代表者小熊美誉子をしてそのように誤信させたものとしてもこの事実は本件先取特権にはなんらの消長を来たさない。

わが商法において「船舶債権者」とは、特定の原因から生ずる債権者で第八百四十二条によりいわゆる船舶財団のうえに先取特権を有するものをいうと解することができる。(「第七章船舶債権者」のうち、第八百四十三条乃至第八百四十五条、第八百四十七条に各「船舶債権者」の文字があり、これに反し船舶抵当権についてはこの文字は使用されない。)そしてこの債権の範囲及び船舶財団に対する関係を破産法の財団債権の範囲及び破産財団に対する関係と対比すれば、酷似していることが認められる。ところで、例えば商法第八百四十二条第四、五号掲記の水先案内料、挽船料又は救助料債権について考えればこれら債権の発生原因たる事実関係の実態から債権者において債務者たるべき航海経営者が真実何人であるかを知ることは困難であつて、もしこれを覚知できない以上、先取特権が行使できないとすれば著しく取引の安全を害するに至るであらう。されば船舶債権者には、船舶先取特権に依存し、専ら当該船舶そのものを責任の引当と考えて取引をなすものもこれに該当する者と考えなければならない。したがつて本件競売申立についても、たとえ債務者の表示に誤謬があつたとしても船舶債権並びに先取特権の目的たるべき船舶が特定されている以上競売開始決定は維持されるべきである(競売法第三十七条においても、債務者の表示は競売申立書の記載要件でない。)と述べ、

証拠として、乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三乃至第十号証、同第十四乃至第十八号証を提出し、証人柿本敏夫、同前田力同佐伯美代治、同尾崎貞夫、同樋口富彦、同酒井勇輔、同杉本芳郎の各尋問並びに本件船舶の鍵の検証を求め、甲第一乃至第五号証、同第十一、十二号証の各原本の存在を争わず、かつその成立を認め甲第六乃至第十号証及び同第十三号証の郵便官署作成部分の成立を認め、甲第十三号証のその余の部分及びその余の甲号各証の成立は不知、なお甲第十一、十二号証は相手方の利益に援用すると述べた。

理由

本件船舶が申立人の所有であつて、その名義に登記されていること、相手方が、申立人に対し昭和三十二年三月二十五日から同年十二月五日までの間に五回に亘つて合計金六百二十七万円を貸付け、この貸金のうち金五百六十八万七千八百六十円の返還請求権については本件船舶に対し商法第八百四十二条第六号所定の先取特権を有すると主張し、当庁に本件船舶の競売を申立てたこと、並びに当庁が右申立に基き昭和三十三年(ケ)第三一号船舶競売申立事件につき昭和三十三年三月二十四日右先取特権の実行として本件船舶につき競売開始決定をなしたことはいずれも当事者間に争がない。

そして、相手方は、第一に朴炳哲は申立人との間の委任契約に基き申立人から代理権を与えられ、申立人の代理人として前記のように消費貸借契約を結んで相手方から金員の貸与を受けたものであり、仮に申立人が朴炳哲に対し代理権を授与したことがないとしても、申立人は同人に対し申立人名義の国籍証書等を与えたのであるから、同人に代理権を与えた旨を表示したもの、あるいは申立人は朴炳哲に対し申立人名義を使用して本件船舶による営業をなすことを許諾したものと主張するところ、わが国際私法上、代理人あるいは、代理人と称するものの行為により本人と右行為の相手方がどのような法律関係に立つかについての準拠法の決定につき考えるに、任意代理を原因とするものについては、まず法例第七条の適用又は類推適用により代理権を授与する法律行為あるいは第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者の責任についてはその表示行為の成立及び効力の準拠法によつてこれを決するのか相当と解せられるから、代理授権行為等の準拠法は、その当事者の意思により定まるものといわなければならない。しかしこの場合には第三者たる代理行為の相手方にとつて、有効な代理権の存否はこれを知ることが必ずしも容易でなく、いきおい渉外的取引の円滑化の要請が脅やかされるに至るべく、かくては国際私法の本旨にももとる結果となるから取引行為の相手方の保護のためには更に法例第三条第二項を類推して、代理行為のなされる場所の法律において本人が相手方に対し代理行為による責任を負うべきものと定められている場合には本人と取引行為の相手方との法律関係について右行為地法を適用すべきものとするのが最も相当と解せられる。またいわゆる名板貸による本人と相手方との法律関係についても前記と同じように、まず名義使用の許諾行為の準拠法、次に右名義を使用してなされた取引の行為地法を準拠法とするものと解すべきものである。

そこでまず申立人の朴炳哲に対する代理権授与行為、代理権を授与した旨の表示行為あるいは申立人の名義の使用を許諾した行為の存否について考えてみると、これらの行為の存在を直接証明するなんらの資料も存しない。もつとも本件船舶が昭和三十二年三月当時釜出港に係船されていたものであつて同地には申立人の支店があり支店の従業員が本件船舶に乗船してこれを監守していたところ、朴在鶴が船長として、その他朴炳哲ら合計十二名が乗船して同月九日同港を出航したものであることは当事者間に争がなく、原本の存在及び成立に争のない乙第四号証、申立人代表者の尋問の結果により成立の認められる甲第十六号証、証人樋口富彦の証言、並びに申立人代表者尋問の結果(後記措信できない部分を除く。)を綜合すれば、本件船舶の右出航に当り、釜山港において螢石約百屯が積込まれたこと、釜山地方海務庁及び釜山税関において出港に関する所要手続を了したこと及び前記船番に当つていた申立人釜山支店従業員が同港において平穏に下船したことがいずれも認められ、これらの事実よりすれば本件船舶の釜山出航は申立人の了解のもとになされたものと推認することができるけれども、(申立人代表者尋問の結果のうち、この推認に反する部分は措信できず、甲第十五号証の記載のうちこの推認に反する部分は右書証の作成形式に照し真実に合致するものとなすことができない。)相手方が明に争わないので自白したものと看做すべき朴炳哲が申立人の代表者でない事実と証人朴在鶴、同柿本敏夫、同前田力、同佐伯美代治、同尾崎貞夫の各証言、原本の存在及び成立に争のない甲第一、二及び四号証、成立に争のない乙第十五号証(弁論の全趣旨に鑑み、以上各書証の申立人名義の部分は朴炳哲の作成である点につき当事者間に争がないものと解する。)、その形式及び弁論の全趣旨により朴炳哲の作成したものと認められる乙第九、十号証及び乙第二号証の一(甲第三号証はこの写である。)、二のうち各成立に争のない部分及びその余の部分の記載形式並びに弁論の全趣旨を綜合して認められる朴炳哲は申立人名義を刻した角印をほしいままに作成し、かつ本件船舶の船舶検査手帳及びその封筒の、所有者として申立人名義を表示した記載に添えて「取締役社長朴炳哲」とほしいままに記載し、これらを証拠として、日本国内において終始自ら申立人代表者と僣称し、しかも朴炳哲の行動はほとんど朴在鶴にも秘匿されていたとの事実並びに弁論の全趣旨により窺い得る朴炳哲が、本件競売開始決定のあつた頃からその所在をくらました事実を綜合し、これに申立人代表者尋問の結果(前記措信しない部分を除く)を併せ考えるときは、結局申立人が朴炳哲に対しなんらかの代理権を授与した事実、同人に代理権を授与した旨を表示した事実並びに同人に自己名義を使用して本件船舶により営業をなすことを許諾した事実はいずれもその証明がないものといわなければならない。なるほど、証人朴在鶴、同呼文芝、同杉本芳郎の各証言及び検証の結果を綜合すれば、本件船舶の国籍証書及び船舶検査手帳は昭和三十二年三月中旬頃朴炳哲が船長朴在鶴から交付を受け、本件船舶内容各部施設の鍵一切は束となつたまま同年中朴炳哲の手に渡りその後これらはいずれも朴在鶴の手許には戻らないことが認められ、証人朴在鶴、同前田力、同尾崎貞夫、同樋口富彦、同杉本芳郎の各証言、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第十七号証を綜合すれば、朴在鶴は本件船舶の神戸入港の頃から後において、船長として、その監守、船員の監督等について必ずしも十分に意を用いず、むしろ朴炳哲が本件船舶の監守本件船舶に関し必要な経費の調達等に進んで働いていたことが認められる。ところで証人朴在鶴、同佐伯美代治の各証言によれば少くとも昭和三十二年三月初頃から昭和三十三年六月頃までの期間において、朴炳哲が本件船舶の事務長の地位にあつたことが認められるところ、証人柿本敏夫、同佐伯美代治、同杉本芳郎の各証言によれば、大韓民国の船舶においては、船主又は荷主が事務長として乗船している例も少くないことが認められるのであつて、以上の事実を綜合すれば、朴炳哲は船長朴在鶴の指揮監督を受けるべき部下船員たる地位に在つたものではなく、本件船舶についてなんらかの特殊な地位にあつたものと推認できるけれども、(この推認に反する証人朴在鶴の証言部分は措信できない。)これらの事実を以ては、いまだ申立人、朴炳哲間に前記代理権の授与等の行為があつたものと認めるに足らないというべきである。

以上のとおりであるから、朴炳哲と相手方との取引行為により本人たる申立人と相手方との間に生ずべき法律関係は、法例第七条の適用又は類推適用によつては決し得ず、右取引行為法によつてのみ定まるところ、証人朴在鶴、同柿本敏夫、同前田力、同尾崎貞夫、同杉本芳郎の各証言、前記甲第一、二及び四号証、乙第十八号証(弁論の全趣旨により成立が認められる)、並びに弁論の全趣旨を綜合して認められる朴炳哲が相手方と本件船舶に関連して昭和三十二年後半頃日本国内において消費貸借契約を結び若干の金員を借受けたとの事実により取引行為と認められる日本の法律によれば、申立人、朴炳哲間に前記代理権の授与等の行為があつたものと認められないこと前段に述べたとおりであるから、その余の点をまつまでもなく、申立人は朴炳哲の行為により相手方に対し債務を負わないものということができる。なお、相手方は朴炳哲が申立人と裸傭船契約を結びこれに基いて本件船舶を適法に運航の用に供するものとして、相手方から本件船舶に関し借財をなしたと主張するけれども、第三者たる朴炳哲の行為のみによつて直ちに申立人が債務者となる根拠はこれを見出すことができない。

以上の次第で、申立人は相手方に対し相手方主張の貸付を原因とする債務を負わないものといわなければならない。右債務にかかる先取特権の存否については、原本の存在及び成立に争のない甲第五号証、乙第十四号証により本件船舶の旗国法と認められる大韓民国法により判断すべきであるが、同法によつても担保すべき債務の存在しない以上先取特権が存在するものと解すべき余地はない。

なお、申立人主張の和解調書の効力について一言すれば、同調書には、尾花義郎を同事件申立人、申立人を同事件相手方として表示したうえ、申立人(和解事件相手方)は尾花義郎に対し金六百二十七万円の債務のあることを認め、右金員を昭和三十三年二月三日限り支払う旨の和解条項が記載されていることは当事者間に争のないところであるが、右和解条項記載の債権は、同調書の記載全休を以てするもこれを特定するに由ないこと本件競売事件記録中の同調書正本により裁判所に職務上顕著な事実であるから、その余の点を考えるまでもなく右調書は既判力の生ずる由のないものといわなければならない。

さらに、相手方は、前記貸金債権の債務者が本件競売開始決定に表示されたところと異り、申立人でなく朴炳哲であるとしても、この債権が商法第八百四十二条により本件船舶に対する先取特権によつて担保されるものである限り、本件競売開始決定は、債務者の表示に誤謬があるだけで船舶債権及び目的船舶において特定されているので、維持されるべきものと主張するけれども、本件競売開始決定の基本たる先取特権は、その申立及び同決定によれば、商法第八百四十二条第六号所定の債権にかかるものとされていることが当事者間に争がなく、たとえ相手方が朴炳哲を債務者とする貸金債権を有するとしても、同号に定められる種類の債権に限つていえば、目的たる船舶にさほど密接な関連を有するものとはいえないため、債務者が前記競売開始決定におけると異る以上、それだけでこれを担保する先取特権と本件競売開始決定においてその手続の基本とされた先取特権とは同一性を欠くものといわなければならない。

したがつて、本件競売手続は、その基本たる申立人に対する貸金返還請求権にかかる先取特権が存在しないのであるから許されるべきものでない。

そこで、本件異議申立は、理由があるものとしてこれを認容し、申立費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 日野達蔵 菅浩行 高山晨)

目録

一、汽船ハンヤン(韓洋)号

船質        鋼

総屯数       百二十三屯九四

純屯数       六十八屯五四

機関の種類及び数  デイーゼル式発動機一個

推進器の種類及び数 らせん推進器一個

進水の年月日    昭和三十一年九月

船籍港       大韓民国釜山市

停泊港       神戸市

属具(無線電信機及び測深機を含む)一式

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例